なぜ経営の話に歴史を持ち出すのか|ブログ「双星」のはじめに

早田経営支援オフィス 早田直弘|中小企業診断士×社会保険労務士

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このブログに「双星」というジャンルを作りました。楚漢戦争(そかんせんそう)を中心に、歴史の逸話から経営を考える読み物です。

経営改善、採用、労務定着と並んだ中に、ひとつだけ毛色の違うものが混ざっている。何だこれは、と思われた方もいると思います。最初に、なぜこれを始めるのかを書いておきます。

法人の名前を考えていて、気がついた

きっかけは、新しく作る法人の名前を考えていたことでした。

どうせなら歴史から取りたいと思って、あれこれ調べていました。人物、故事、言葉。そうやって何日か頭の中を歴史でいっぱいにしているうちに、あることに気がつきました。

私は名前を考えるずっと前から、支援の現場で歴史を使っていた。

社長の話を聞きながら、頭のどこかで「これは前にも起きたことだ」と思っている。この会社の危うさは、あの人が滅んだ理由と同じだ。この社長がやろうとしていることは、あの逸話の失敗と同じ形をしている。そういう当てはめを、意識せずにずっとやっていました。

判断の材料として、すでに使っていたものだった。それなら、ブログに書こう。そう思いついたのが始まりです。

ただし、支援の現場で歴史の話はしない

先に断っておくと、私は支援先で歴史の話を持ち出しません。一度もしたことがない、と言っていいくらいです。

打ち合わせの席でいきなり「昔、殷(いん)の紂王(ちゅうおう)という王がいまして」と語り出したところで、興味のない人にはピンとこない。それどころか、変な人だと思われて終わりです。社長が聞きたいのは自分の会社の話であって、三千年前の王の話ではありません。

だから歴史は頭の中で判断の材料にし、社長には、その会社で何が起きていて、どう手を打つかを話します。歴史の話をしなくても、それが伝われば十分です。

ブログは、その例外です。ここは判断の枠組みそのものを見せる場所にします。

昔は、それが正しい諫め方だった

おもしろいのは、今やったら変な人になるその語り口が、かつては正しい作法だったことです。

中国の歴史書には、臣下が主君を諫める場面が繰り返し出てきます。そのとき臣下が持ち出すのは、決まって昔の話です。かつてこういう王がいて、こうして国を失いました、と。真正面から「あなたは間違っています」と言えば首が飛ぶ時代に、過去の事例を鏡として差し出したわけです。

科挙でも故事の知識が重んじられました。物知りを尊んだからではありません。政治の判断材料として、過去の事例を引けることが実務能力だと考えられていたからです。

北宋(ほくそう)の司馬光(しばこう)がまとめた歴史書は『資治通鑑』(しじつがん)といいます。治世に資する鑑、つまり政治の役に立つ鏡という意味です。唐の太宗(たいそう)も「古を以て鏡と為せば、興亡を知るべし」と言っています。歴史は教養ではなく、道具でした。

語り方は時代に合わせて変える必要がありますが、中身のほうは今も使えます。

戦争は、一番シビアな現場だった

なかでも私が戦争の話を多く扱うのには、理由があります。

戦争は、人間が関わる活動の中でもっとも失敗の代償が大きい現場です。命が懸かり、国の存亡が懸かる。

軍事には、その時代の最先端の理論や技術が投入されてきました。命や国の存亡が懸かるからこそ、勝つために人間の知恵が注ぎ込まれてきたのです。

限られた兵力や物資をどう使い、誰に何を任せるか。技術だけでなく、人や組織の動かし方にも、その知恵は詰まっています。だからこそ、経営を考えるうえでも学ぶものが多いのです。

経営で使われる言葉や手法にも、軍事から取り入れられたものが数多くあります。戦略はもともと将軍の術という意味ですし、戦術も、兵站を意味するロジスティクスも、キャンペーンもターゲットも、出どころは戦争です。オペレーションズ・リサーチも、ランチェスター戦略も、参謀本部型のスタッフ組織も、軍のほうが先にありました。

もちろん、そのまま持ち込めるものではありません。経営では、競争相手を倒すことが目的ではありません。顧客に選ばれ続け、事業を続けていく必要があります。社員には辞める自由があり、取引先には他社を選ぶ自由がある。構造は借りても、手段はこちらの世界のものに置き換える必要があります。

経営理論は、誰かの思いつきではない

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。

強い言い方ですが、自分の経験だけで判断することの危うさを突いていると思います。私自身、支援の現場で得た経験を頼りにしています。ただ、自分が経験していない失敗まで、自分で経験する必要はありません。そのために、歴史や経営理論があります。

経営理論は、企業の成功や失敗から共通する構造を取り出し、実際の経営に当てはめ、その結果をもとに見直されてきたものです。見直した理論をまた現場で使い、その結果からさらに修正する。その繰り返しの中で、何千何万という会社の経験が積み重なっています。

どこかの学者の思いつきが並んでいるわけではありません。実際の現場で起きたことの集積です。

歴史を経営の判断に使うのも、これと共通しています。過去に起きたことから、次の判断に使えるものを読み取る。

学校で歴史を学ぶ意味も、そこにあると思います。過去の出来事を知識や教養として覚えるだけではありません。人が何を考え、どう行動し、その結果何が起きたのか。その積み重ねを知ることで、自分がどう生きるか、何を選ぶかを考える材料が増えます。

経営でも同じです。歴史と経営理論の両方を行き来することで、自分の経験だけでは気づかなかったことが、目の前の会社にも見えてきます。

だから、楚漢戦争から始める

数ある題材の中で楚漢戦争を軸にするのは、経営に必要な論点がひととおり、しかも一続きの物語の中に出てくるからです。

戦の天才が、人を活かしきれずに追い詰められていく。その天才に負け続けた男が、負けても倒れず、最後に勝つ。個人の強さと組織の強さ、人材の流出と獲得、兵站、外部との提携、評価と処遇の失敗、そして勝ったあとの功臣の扱いと後継ぎの問題まで、全部つながって描かれています。

この連載では、史書の記述だけでなく、広く知られた逸話や、後世の脚色を含む物語も取り上げます。語り継がれるうちに加わった描写にも、人の判断や振る舞いについての教訓が込められているからです。細かな史実の確定に立ち入るよりも、そうした物語から、今の経営に何を読み取れるかを考えていきます。

登場人物の関係や出来事の流れを確認したい方は、「楚漢戦争のあらすじ」をご覧ください。

双星とは、張良(ちょうりょう)と蕭何(しょうか)のこと

ジャンル名の「双星」は、劉邦(りゅうほう)を支えた二人、張良と蕭何から取りました。

張良について、劉邦はこう評しています。

「夫運籌策帷帳之中,決勝於千里之外,吾不如子房。」(陣営の中で策をめぐらし、千里の外で勝利を決める。その点では、私は張良に及ばない。)

『史記』(しき)高祖本紀(こうそほんぎ)にある言葉です。子房(しぼう)は、張良の字です。

蕭何は、後方で兵と食糧と資金を絶やさず送り続け、法と記録を整えた人です。

そしてもうひとつ、蕭何には役割がありました。人を見抜いて引き上げることです。劉邦の陣営で最大の戦力になる男を見つけ出し、埋もれかけていたところを拾い上げて、軍のトップに押し上げたのは蕭何でした。この話は最後にもう一度出てきます。

華々しい戦功はありません。それでも劉邦は、天下を取ったあとの論功行賞で蕭何を第一位に置きました。

この二人がいなければ、劉邦は勝てませんでした。

張良、蕭何、そして軍を率いた韓信(かんしん)。この三人は「漢の三傑」と呼ばれます。そのうち二人を取って「双星」としたのは、中小企業では韓信の役割を、社長自身が担っていることが多いからです。

営業に強く、自ら売上を作れる社長がいる。二代目、三代目の会社なら、受け継いだ営業基盤や、前線を任せられる人がいる。私が支援の現場で感じるのは、そうした前線の力を持ちながら、全体の方向を考える張良と、事業を後方から支える蕭何が足りていない、ということです。

私が現場で見ているのは、蕭何のいない会社

なかでも、もっとも足りていないのが蕭何です。

支援先の相談は、その大半が売上をどう上げるかに集中します。財務体質や社内の仕組みに目が向かない。そして財務が苦しくなると、売上を上げること以外に手が思いつかず、しかもその中身は新規獲得だけになる。既存客との取引を深める、原価を見直す、回収と支払のサイトを整える、仕組みを作って人が辞めないようにする。そうした後方の仕事を担う人が、社内にいないのです。

なお、この記事で紹介する事例は、相談内容や関係者が特定されないよう、個別の事情を変えています。

ある支援先の社長は、頭も良く意識も高い方です。やりたいこともたくさんある。ただ、それが戦略の形になっていない。財務は苦しいが、数字を見て手を打てる人が社内にいない。人件費が適正かどうかも、判断の物差しがないままでした。社長一人の能力の問題ではなく、数字をもとに一緒に考え、改善を進める人がいないのです。

そしてもうひとつ厄介なのが、張良のほうは「足りている」と誤解されやすいことです。

事業の方向は自分で考えられている。社長には、たいていそういう自負があります。実際、そこができるから独立して会社を興せたわけで、間違ってもいません。ただ、一人で考えた方向が正しいかどうかを検証する相手がいない状態と、方向を考えられる状態は、別のことです。

人の扱いを間違えると、人は出ていく

もう二つ、現場で見た例を挙げます。

ある支援先の社長は、悪い人ではありませんでした。情もあり、社員にきつく当たることもない。ただ、社員の将来につながる給与や能力の向上には、驚くほど無頓着でした。日々は穏やかなのに、本当に与えるべきものが与えられない。

楚漢戦争には、まさにこれを指す言葉が出てきます。

かつて項羽(こうう)に仕えた韓信は、その人柄をこう評しています。人には情け深く、病人には涙を流して自分の食べ物や飲み物を分け与える。ところが、功績を上げた者に爵位を与える段になると、印の角がすり減るほど手元に置いたまま、渡せない。韓信はこれを「婦人の仁」と呼びました。

優しさは伝わっても、報いがなければ人は離れます。

もう一社は、明らかに能力の高い人を、学歴を理由に冷遇していました。その人は辞め、同業他社に移りました。移った先はその能力をすぐに見抜き、相応の立場を与えています。今はそこで大いに活躍しています。

先ほど項羽を評した韓信自身も、才能を認められず、陣営を去った一人でした。

項羽のもとでは下級の職に留め置かれ、献策も採用されず、劉邦のもとへ移ります。ところが劉邦の陣営でも、任されたのは兵糧管理の仕事で、軍を率いる役ではありませんでした。これでは同じだと見切りをつけ、韓信はそこからも逃げ出します。

追いかけたのが蕭何でした。劉邦に報告する間もなく、自ら韓信を追った。月明かりの中、馬を走らせる姿で語り継がれる場面です。

蕭何は韓信を連れ戻し、劉邦に説きます。韓信は「国士無双」、他に並ぶ者のいない人材だと。

蕭何の説得を受け、劉邦は無名の韓信を、いきなり大将(全軍の総司令官)に据えます。自分こそが選ばれると思っていた将軍たちをよそに、韓信が任命され、軍全体が驚きました。

そして韓信は、項羽を滅ぼす側の主力になりました。

冷遇して手放した側から見れば、自社で埋もれさせていた人材が、よそで見抜かれ、抜擢され、最大の脅威になって戻ってきたということです。人が辞めるのは損失の始まりにすぎません。本当の損失は、その人が別の場所で花開いたときに表に出ます。

これから書くこと

物事は、個別の事情がいくら違っても、共通する構造を持っています。そこが肝で、個別の事情はその上に乗る変化にすぎません。人の営みの本質は、有史以前から変わっていないと私は思っています。

だから二千年前の話が、今日の会社の話になります。

次回から、逸話をひとつずつ取り上げていきます。項羽はなぜ負けたのか。劉邦は本当に無能だったのか。評判の悪い人材をどう見るか。エースに全権を渡したあと、その人をどう処遇するか。

隔週の日曜に、一本ずつ。平日の実務記事とは別の読み物として、気楽に読んでいただければと思います。

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この記事を書いた人

早田直弘

早田直弘(そうだ なおひろ)

中小企業診断士・社会保険労務士

早田経営支援オフィス代表。

人の問題を経営改善の視点から、経営の問題を人の切り口から、複合的に根本から解決していく、中小企業診断士×社会保険労務士

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